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大きな声じゃ言えないけど、本当はあの日に感謝してる。

ずっと言えなかったことがある。
わたしは、わたしの人生には、あの出来事があってよかった。
‥そう思っているのだ。

ついに6年が経った。
3年目は横浜、5年目は東京、6年目は高知で今日を迎えた。

あの地震がなかったら、もしかして今も仙台の実家の部屋から一歩も出ずに、インターネットの海の中に漂っているだけだったかも知れない。もしかしたら、もうこの世にはいないかもしれない。

当時のわたしは19歳で、未来には絶望しかなかった。
みんながキャンパスライフを送る中、大学には”女の子だから”と行かせてもらえなかった。
一人暮らしはお金がなくてできなかった。
母親のヒステリーがいつなにで起こるのかわからず、ひやひやしながら一緒にいるのがこわかった。
どうせテレビも、わたしがすきなものは見せてもらえない。
お守りみたいに着ていたかわいいお洋服は「もっと普通のを着なさい」と叱られる。
夢なんて見たって、仕方ない。
もういいや、とバイトに行く以外の生活のうちほとんどを2階の自分の部屋で携帯を見ながらやり過ごしていた。

今日と同じような明日が延々とやってくるのがこわくて、眠れなくなった。
希望を持つなんて、できっこないんだもの。「そんなのやめなさい」の一言で、一瞬にしてぺしゃんこにされて終わり。でもじゃあこれから、どうしたらいいの。

そんな時だった。
地面からなにかがこみ上げてくるような揺れで目が覚めた。食器棚のドアがばたんばたんと開いて、中から食器が飛び出してはガシャンと割れる。あっという間に足元は破片の海になった。

「あっ、今本当にぺしゃんこになって死んじゃうんだ」と思った。
あんなに毎日、もう死んでしまいたいなと願っていたのに。
「死にたくない」そう思った。
「わたし、今ここでこのまま死ぬのは嫌だ。」

後から知ったことだけれど、阪神大震災後に建物の設計が見直されたおかげで、あんな風に天井が落ちてきて下敷きになってしまうような被害は少なかったんだそう。

だからわたしたちはあの日、「死者◯千人です」とラジオから流れるニュースを、そんなまさかと受け流していた。
だって、生きてるし。驚いたことに、生き残ってるし。
電気が途絶えて真っ暗な闇の中、自分がここにいるという現実だけがリアルだった。
一週間後、やっとテレビがついて目にした津波の映像に、はじめて納得した。
そういうことだったんだ、と。

誰かに会うたび、「ああ生きてたんだ、よかった」と言いあった。
なにも価値がないと思っていた自分が、生きてるだけで許された気がした。
あっわたし生きててよかったんだ、そっか、知らなかった‥。

津波にぜんぶ流されて着るものがないという顔も知らない知人の知人に、すきだったお洋服をたくさんあげた。
やることがなくて、避難所のボランティアに通うことにした。

生きよう、と思ったのだ。
わたしは死にたくないんじゃなかった。このまま仙台からも、実家からも、あの部屋からも出ずに生涯を終えるのは悔しすぎた。
死んじゃうくらいだったら、たぶんできる。
それからバイトをたくさんかけもちしてこっそりお金をためて、ちっぽけな一生分の勇気を使い果たして、ついになにもかもから脱出した。

家にがんじがらめにされる人間というのは、いるのだ。どうしても、どうしても出られない。一生ここでこうやって生きていく以外選択肢がない。そう思い込んでいたわたしをガツンと殴ってくれたのがあの地震だった。

故郷を捨てただの、なんだの、散々言われた。
でもあのまま半分死んでいるような毎日を過ごすのと、幸せに生きてみようと向かっていくの、どちらが良いことだと決めるのはわたしでしょ。土地でも家族でもない。そう言い張る、覚悟ができた。

新しい人に逢う度、新しい景色を見る度、こんな人生もあるんだと噛みしめる。
あれから出逢った、自分の身には到底起こり得ないと思っていた出来事たちを想うと、どうしてもあの日がこなかった人生は考えられない。

「仙台出身です。」と言うと当然のように返される「大丈夫だった?」という台詞。
もうやめませんか?と思うのだ。

大丈夫だった訳がない。確かにそれを経験してしまったわたしが、”大丈夫”なんて無責任な言葉を使える訳がない。

でも、あんな悲しい出来事を、だからこそ、良いことに変えていく力は残された人間だからこそある。むしろ、それしかないのだ。

それを不謹慎だなんて言っちゃダメだよ。ずっと思ってた。わたしたちのために楽しいことや嬉しいことを我慢しなくてもいいのに。その当たり前を大切にしてくれたらそれでいいのに。あの時、ずっと思ってた。

今だからやっと言える。6年前の今日のおかげで、やっと人生をはじめられた。あの日があって、良かったんだ。
少なくともわたしにとっては。

ブログの引越しにともない、2017年に書いたものを
こちらに転載しています。自分の軸になった出来事が
決して風化されませんように。

▽2015年に書いたやつです。

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